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一周忌
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一年前の今日、高校時代からの友人が天国に行ってしまいました。
享年32歳。あまりにも早すぎるお別れでした。

今日、友人達が母校でお別れの会をしました。
先月まで行くつもりでいたけど、結局叶わず。
一人彼女のことを思い出し、静かにお祈りをしました。





彼女の訃報は友人からのメールで知った。翌日のお葬式に間に合うはずはなかったので、家で一人で泣いた。

日本の友人達の大半は、「海外に住むこと=楽しいこと」だと思っているように感じる。
「海外に行く=旅行=楽しい」って連想しているんだと思う。

大切な人が亡くなったのにお別れの挨拶も出来ない苦しみ、同じ悲しみを誰とも共有できない孤独感なんて、きっと誰も想像しないだろう。


当時の私は友人達の想像とは裏腹に、かなり地味な生活を送っていたと思う。
当然働くことはできなかったし、駐在員もほとんどいないような土地だったので、日々カレッジ(短期大学)に通い、膨大な宿題をこなし、決まった曜日にアメリカ人の友達と英会話の勉強を兼ねてお茶を飲み、たまに息抜きに映画や買い物に行く、といった感じだった。

彼女が亡くなった時、日本の友達に「彼女の分まで精一杯生きないとね」と言われて、そんなルーティーンの生活を送っている自分が精一杯生きているとは思えなかったし、「Rちゃんはアメリカでの生活を楽しんでね」と決まり文句の様に言われると、彼女達の想像する生活と自分の現実とのギャップに苦しくなった。
大げさと思われるかもしれないけれど、ちょっと生きているのが苦しくなってしまって、でもやりたいことを沢山残してこの世を去った彼女を思うと、そんな風に考えてはダメなんだ、と思ってさらに苦しくなったり。

ドイツに行ったら今度こそちゃんと生活を楽しむことにしよう、と決意したはずなのに、気がつけば目先のことに追われ、語学学校に通う日々。アメリカにいた時とあまり変わらない。
彼女の一周忌を機に、また同じ疑問が頭を駆け巡った。


私は、彼女の分まで生きてる?


でも、彼女の分まで生きてないかもって思って勝手に苦しむのは、きっと彼女は迷惑だ。逆に悲しんでるかもしれない。彼女のことだ、もしかしたら天国で泣いているかもしれない。彼女をこれ以上苦しめてはいけない。今は安らかに、天国で、第二の人生を歩んでいるのだから。
私は今の環境で自分ができることをするしかない。それが何かに繋がっていくと信じるしかない。


友人が送ってくれた当日の台本に、彼女の高校時代の日記の一部が記載されていた。

 悲しいことのあとには嬉しいことがきっとあると思う
 悲しみがあるから喜ぶことができると思う
 生きている間に辛いこともたくさんあるけど
 生きることを愛しく感じられるといいなと思う
 心から優しくて強くて素敵な人になりたいと思う
 そしていつか全てを心から愛せる人になりますように…


私は彼女の残した言葉を胸に刻んで生きていこうと思う。
それが私なりの、彼女の分まで生きる唯一の方法だから。
by rike22 | 2009-10-10 18:44
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